職場に女は連れ込むな。女遊びが激しい大佐の、だからこそそれは処世訓であった筈なのだ。仕事に支障をきたしてはいけない。上層部からの激励の言葉だってうんざりだ。大佐はそうこぼして、それから俺にこう言った。私の処世訓だ、と。それならば、どうして大佐は女性と付き合うことをやめないのだろうかと、まだ軍部に入りたての田舎者だった俺には、その言葉の意味がよくわからなかったけれども。 「本気の恋なんて、」 直属の部下になって暫く経った頃に、大佐はぽつりと呟いた。俺に向かって言ったのか、それとも思わず口から洩れた独り言だったのか、今となっては定かではない。確かめようという気もないし、確かめたところでどうにかなるという訳でもない。それでもあの時の大佐の、酷く疲れた様子の声が耳に残って離れない。 「本気の恋なんて、」 するものではないな、と。 確かにそう言った。 「御伽噺の中だけだ、王子と姫が幸せになれるのは」 大佐の目線は手元の書類から離れなかった。伏せられた睫毛はぴくりともしなかった。何があったのかはわからない。それでも大佐とひとりの女性の間に、何かがあったのだろうということだけには察しがついた。俺にはわからない何か。それを大佐は持っていた。 不甲斐ない。上司を慰めてやることもできないなんて。 何も知らなかった。まだまだガキだった。田舎を出て軍人になって少しばかり天狗になっていた。世の中には、知っていることよりも知らないことの方が多いのだ。少なくともその頃の俺は、上司の慰め方も知らないただのガキで。 「・・・だったら、大佐がオウジサマになれば、」 幸せになれるんじゃないスか。なんて。よく言えたものだ。 大佐は目を丸くして俺を見た。それから、それもそうだな、と呟いて、また手元の書類に目を伏せた。肩が小刻みに震えていたのはきっと、笑うのを必死に堪えていたのだろう。 今なら、わかることが沢山ある。 今でも、わからないことが沢山ある。 それはきっと、なによりも仕事を優先させる為。愛する女性か、それとも仕事か。どちらかを選んだ結果だったのだ。大佐は御伽噺のオウジサマにはなれなかった。オウジサマはお姫さまよりも国を選んだのだ。 職場に女は連れ込むな。 ――夢中になったら、仕事ができなくなるから。 だから大佐は毎日相手を変えるのだ。ひとりの女性に夢中にならないように。いつだって本気は見せずに。ただ欲求を満たす為。自分の夢を、目標を、ひとりで実現させるため。 それでも。まだまだ子供から卒業できない俺は、思うのだ。 そうやって、何もかも自分から遠ざけて。 彼が目指したその先には、一体何があるのだろう、と。 BACK 20040528...上司思いのハボさん。 |