女子高生が妊娠したなんてニュースがブラウン管の向こうから伝えられるのも、別段めずらしいことじゃない。最近の若者はこれだからいけない、なんて、自分もその例に漏れないくせに呟いてみたりする。夕食も食べ終わり、お風呂もとうに済ませてしまった。時刻は9時をまわったところ、さっきのニュースを耳にするのは朝から数えて実に3回目だ。ぷしゅ、と小気味のいい音がリビングに響くのを他人事のように聞きながら、結局世の中なんてまあこんなものかと思う。片手間にそそいだものだから、コップの半分は真っ白な泡で埋め尽くされてしまった。

そういえば、そろそろ話題の『近頃の若者』が帰ってくる時間である。高校生になったばかりだというのに、毎日野球で忙しくしている弟。最近は朝の4時半に家を出て、9時半過ぎに帰宅するという生活を送っている。下手すると顔を見れない朝だってあるのだから、せめて帰りくらいは出迎えようと、後味すっきりが宣伝文句の缶ビールでお風呂上りの1杯を、なんて洒落こむのがここ最近の日課になってしまった。

けれどもそれがいまひとつ、いい反応をもらえた例がないのである。私の出迎えに笑顔で反応こそすれ、以前ほど会話を交わすことがなくなった。最初は練習で疲れているのだろうと思ったけれど、そうではないと気がついたのは最近で、野球に没頭しているように見えて実は何かに落ち込んでいるのだと気がついたのはもっと最近で、その原因に気がついたのはそれこそ一昨日の話だ。

一言でいってしまえば、失恋。笑顔がなんともかわいらしいあの女の子に、どうやら弟はフラれてしまったらしかった。いつだったか家にも来たことがある。おいしそうなケーキを買ってきてくれたから、私も私で気合いを入れて紅茶を出した。そういえば最近、弟の口から彼女の名前がでることがなくなっていたけれど、なるほどそういうことだったのか。我ながらずいぶんと鈍いものだ。

そんな物思いに耽っていると、がちゃり、と玄関の方から音がしたので、意識を現実世界へと引き戻した。直後、人の気配と足音。おかえり、と声をかければただいま、と返ってくる。

「お風呂あいてるよ、先に泥落としてきたら」
「あー、うん、そうしよっかな」
「その間にごはん用意しとくしやさしいお姉さまが」
「はいはいありがとうございます。あ、父さんは?」
「出張入ったって、明後日まで」

話半分に洗面所へ向かう後姿を見送りながら、覇気がないなあとぼんやり思う。あれが『近頃の若者』の背中だと胸を張って言えるだろうか。人生の折り返し地点をすぎた、サラリーマンの背中ではなかったか。それこそ、ビール片手に枝豆をつまみ、「近頃の若者は・・・」なんてセリフがよく似合う。なんだか私まで切ない気分になってしまった。

汗を流してゆっくり疲れをとることよりも、空っぽの胃を満たすことを選択したらしい弟は、ものの15分で再びリビングに現れた。温めなおした食事を出しながら、人生まだまだこれからじゃないか、という意味合いと、元気だせよ、の意味合いを含めて、ビールを指して飲んでみるかと問うてみる。本人は笑いながら答えたつもりなのだろう。「まさか、そんなまずそうなもん」それでも私の目には泣きそうな顔としか映らず、その姿があまりにあんまりだったので、私はその返答が聞こえなかったフリをした。

私はビールを片手に、一心に食を進める我が弟を見つめて、考える。別れた原因はなんだったのだろう。100年の恋もさめてしまうような何かが、彼にあったというのだろうか。それとも、もしかしたら彼らの恋はちいさなちいさな泡のように、ひとつずつ消えてなくなっていったのかもしれない。

「あのさあ姉ちゃん。オレ、ふられた」

私が勘付いていると知っているのだろう。ぽつりぽつりと話しだす。口をはさむでもなく、うなづくでもなく、私はコップを置いて、そこにそそがれた泡をじっと見つめた。少しずつ消えてゆくそれは、私を悲しい気持ちにさせる。

「かわいそうで、離れられなかったんだって」

空になったお椀をことりと置きながら、呟くようにしてそう言った。かわいそうと言われた弟がかわいそうで、でもそれもなんだか違うような気がして、なんだかなあと思う。かわいそうってなんだろう。この子のどこが、どうかわいそうだと言うのだろう。人の弟つかまえて、かわいそうだなんて。なんとも失礼な話じゃないか。

真剣だったのだろう。だからこんなに落ち込んでいるのだ。何かに没頭しなくてはならないほどではないだろうと思いたい。けれど、少なくとも今の弟が弟のままでいられるのはきっと、野球のおかげであるというのも事実なのだ。野球をやっていてくれて、よかった。そう思っていると、弟の右手が、汗をかいたコップに触れた。コップの半分を占めていた泡も大分なくなって、しかもぬるくなったそれはとてもおいしいとは言えないだろう。

失恋のひとつやふたつがなんだと、大声で笑い飛ばしてやりたかった。お酒を飲むことで忘れられると言うのなら喜んで勧める。さあさあこれでも飲んで元気を出して。あんなのよりもかわいい女の子はそこらにいるじゃないか、あの女の子に勇人は勿体ないよ、と。・・・だけど。

何かを決意したように、ぐいっとコップを傾けた右手は、斜め上に15度、その角度で止まった。「なにこれ、苦っ」高校生にビールをおいしいと思えだなんて、やっぱり無茶な話だった。咳き込んだ彼の瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。そういえば、昔は私もそうだった。ぴりぴりと舌を刺激する炭酸が苦手だったし、独特のにおいも気に入らなかった。苦いばかりでおいしくないと、後に残るのは不快感ばかりだと。彼も今、そう思っているのだろうか。

「姉ちゃんこんなのよく飲めるね、意味わかんない」
そう言って、また。笑うから。

・・・泣きそうな顔をして、それでも笑う人間に。泣いてもいいだなんて。
そんなことどうして言えようか。

弟がそれ以上を語ることはなかったので、私もその件に関しては沈黙を守った。消えてゆく泡をながめながら、けれどももうそれを口にする気にはなれず、ブラウン管に視線を向けた。画面に映されたタレントは、おいしそうにビールを飲み干して、決めぜりふ。「苦いだけじゃ、ない」





真っ白な泡はいつの間にか消えてしまって、テーブルに置かれたコップには、にごった黄色い液体だけがゆれている。
・・・どうせなら、もっときれいな色をしていればよかったのに。





はじけて消えた後でもいいから、何かを残してほしかった。








うたかた

(後味すっきり、なんて、言ったのはだれ?)







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20070910-11...栄口くん。お姉ちゃん捏造(ごめんなさい)。