後戻りはできないのだとわかっていたから、気持ちに嘘をつこうだなんて思わなかった。高鳴る胸の鼓動はおさまることを知らなかったし、熱くなる頬を冷ます方法など、考えたこともない。

だから、当たって砕けろ。七転び八起きだ、岡目八目だ、あ、でもそれはちょっと違う。ちょっと落ち着こう。深呼吸しよう。α波だそう。冷静に頭の中を覗き込んでみれば、とにかく色々なものがぐるぐる回っている。こないだ返却されたテストのこととか、とうとう始まってしまった夏の大会とか。そういうものは全部押し出して、ぎゅう、と右手に力をこめる。暑さで乾いた口の中が、なんだか気持ち悪かった。

「・・・付き合って、もらえません、か?」

いきなりそれか! これほどまでに自分を恨めしく感じたことなんて、きっと、ない。なんてストレートな告白だろう、三橋のまっすぐもびっくりだ。

「あっあのさオレ、さんのこと好きで、ずっと見てて」
「・・・うん」

テンパるオレに、うつむく彼女。髪の毛に隠れて、遂に表情は見えなくなってしまった。ぎゅう、と抱えたカバンには、いつか姉ちゃんに付き合わされた雑貨屋で見かけた、赤ん坊のサルのマスコット。ああそうだ、と思い出す。最初はこのマスコットだった。次が授業中に使ってるシャープペンの色、その次が好きな飲み物、それから、いつも持ち歩いてるお菓子。そういう些細なことが目に入りだしたのが、最初だった。

きっかけなんて簡単なもので、彼女が初めてオレに笑いかけてくれたあの日、オレはとうとう恋に落ちたのだと、今ならわかる。野球少年なんてお手軽なもんだ。その笑顔が気になって気になって、どうしようもなかった。一言でも会話が出来た日なんて、嬉しくて練習どころの騒ぎじゃなかった。顔はもちろん、クソレフトにも負けないしまりの無さで。

オレは、さんに恋をしている。全身全霊すべてを賭けて彼女のことを想っている。付き合ってもらえませんか、繰り返したオレの言葉に、彼女は反応してみせた。・・・ぴくりと肩が上がって、小さく後ずさり。これじゃあ完全に振られたようなものではないか。空を仰いで、眉間に力をこめた。まだ、泣くんじゃない。さっきから硬く握り締めていた右手は、いつの間にかカチカチになっていた。

気がつけば、思い浮かべていたのはサードランナー。おいおいそれはちょっと待て。確かに、オレは緊張している。それは認めよう。そして、それをほぐしたいとも思った。それも、認めよう。けれど、よりにもよって、こんな場面で。苦笑しながら、それでも否応なしに思い出すのは、やっぱり奴らの手の温度。

ふと、彼女の左手が気になった。カバンをぎゅうと握り締めた小さなその手は、力をこめすぎたせいか白く変色してしまっている。こんな風にした原因は自分にあるのだと思ったら、申し訳なさがこみ上げてきて、思わず彼女の左手を握った。

「さっ、栄口く」
「ごめんね、手、痛いでしょ」
「え、あ、いや、そんな滅相もない・・・!」

その手は予想よりもはるかに小さく、そして冷たかった。自分のてのひらの温度を彼女に分けるようにイメージしながら、ぎゅ、と握った右手にほんの少しだけ、力をこめる。この気持ちの100分の1でも、彼女に伝わりますように。

「ねえ、じゃあさ、友だちだったら?」
「・・・え」

ようやくオレを見上げた彼女の顔には、戸惑い半分、疑問半分。頭の上にクエスチョンマークを浮かべたような、そんな顔をした彼女が愛しくて、自然と頬がゆるんでしまった。きっと今のオレ、クソレフトに負けないくらいしまりがない。そんで、田島以上に能天気。断言できる。

「オレ諦めないけど。でも友だちでもいいから、さんに、オレのこと知ってほしいよ」

ね? と首を傾げてみれば、彼女は耳まで真っ赤にさせて、微かに頭を上下させ、お願いしますと呟いた。うん、今のところはきっと、これでいい。たぶん彼女はまだ幼くて、オレの気持ちを完全には理解していないのだろう。都合よくそう思うことにして、明日からの学校生活に思いを馳せる。可能性はきっと、ゼロじゃない。証拠は彼女の赤い耳。





オレはさんの左手を握り締めながら、彼女の恋心もこうなってくれることを、小さなサルにこっそり祈った。

それくらいはたぶん、許されると思うし。








プラスマイナス 2

(少しずつあたたまる、彼女のてのひら)







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20070730-31...栄口くん(のつもり)。微妙だけど満足!(こら)