僕は今まで生きてきた中で、今が一番しあわせなんです。そりゃあ毎日目覚めはすっきり、世界は輝いて見えるし、例えテストの点が悪くても、フライを落としても、そんなの今の僕にはちっとも関係ありません。だって僕はしあわせなんです。かわいい彼女ができたんです。 「おいクソレフト、ボケっとしてんな。さっさと終わらせっぞ」 「あーまた! オレもう名誉挽回したじゃんね!」 「知るかそんなの、さっさとそこのゴミ拾え」 泉は黙々とホウキで部室中の埃を集める。背が高いからとロッカーの上を担当させられた花井と、窓拭き担当の栄口。沖に巣山は雑巾を洗いに行った。阿部と三橋は溜まったゴミを焼却炉まで捨てに行ったし、西広は篠岡を手伝って、スコアブックを整理している。それを見渡して、作業をしていないのは塵取り持ったまま突っ立っている自分と、クモを追いかけることに集中している田島だけだと気がついた。掃除はさっさと終わらせてしまうにこしたことはない。オレは床にしゃがみこんで、ゴミを拾い集める。 それにしたってクソレフトはひどい。怒らないけどね、オレやさしいし、今回くらいは大目に見てあげようと思う。しょうがないよね、泉はきっとかわいい彼女ができたオレに嫉妬してるんだ。 「・・・今日どうすんの、この後」 「え。ああ、帰るよと一緒に」 ふうん、と呟いた泉はそれから、仲いいんだ、とホウキを動かす手を止めた。 「仲? いいよ」 へらりと笑って。きっと史上最高に締まりのない顔してるんだろうなあオレ、そんなことを考えながら泉を見上げると、泉はほんの一瞬間を置いて、 「そりゃよかったな」 「笑った顔とかすげえかわいいし」 「わかったわかった」 「ていうかオレの隣だといつも笑っててくれるし」 聞いてねえよ、と泉はオレの頭をホウキの柄でこつんと叩いた。若干痛みを感じましたがそれは気のせいですか泉くん。泉はそ知らぬ顔をしてまたホウキを動かし始めた。泉の足元にはけっこうな量の埃が溜まってて、オレはそれをぼんやりと眺めていた。 田島ァ、いい加減手伝え! 言いながら、いつのまにかロッカー掃除を終えた花井がオレから塵取りを奪う。どっこいしょ、と腰を下ろして、塵取りへ埃を集め始めた。 「あーそうだそうだ、さん、もう水谷のこと待ってたぞ」 「えーうそ、まじ? うわあ早く掃除終わらせないと!」 「いくらなんでも早すぎじゃねえ? お前今日ミーティングの後部室掃除だって言っといたのかよ」 泉の言い方にちょっと傷つきながら「いくらオレでもそんな初歩的なミスしないよ」、すると今度は花井が「だけどフライは落としたよなー」。少数派はこれだから肩身が狭い。花井がいじめるよーと泣きマネをしてみせたら、お前うざい、また泉に頭を叩かれた。 「つーかホント、あいつすぐ風邪ひくし昔から。待たせんなよ」 ・・・ほら、これだから。少数派は肩身が狭くて困る。花井はへえ、なんて言いながら、それでもさして興味は示さず、オレをフォローしようともせず、塵取りを持ってゴミ箱へ向かいながら、田島の頭を小突いた。「わかってますって!」笑って答えたのに、当の泉はため息ついて、視線は部室の窓の外。誰を見てるかなんて、そんなの。確かめるまでもないけれど。 栄口がバケツの水を捨てて、雑巾を洗い終えた沖と巣山が戻ってくれば。ゴミ捨てに行った阿部と三橋が戻ってくれば。篠岡と西広がスコアブックの整理を終えたら。そしたら帰れる。に会える。いつもの笑顔で迎えてくれる。笑顔の奥で、誰かの姿を探しながら、それでも彼女は笑ってくれる。オレの隣にいてくれる。 わざわざ笑顔を見比べたりとか、そういう惨めなことはしないんだ。いいんだよ別に、ホントはオレだってわかってるんだ。それでも本人がいいって言うならそれでいいじゃないか。それでもオレは彼女の隣にいたいんだ。それがオレのしあわせなんだから。 泉の視線は動かない。ぴくりとも動こうとしない。いくら田島がクモのけんかで騒いでも、それを見た西広と沖が気持ち悪がって巣山に助けを求めても、栄口がその光景を見ながら笑っていても、花井がひとりおばさんみたいに磨き残しをチェックしていても、三橋がバケツにつまづいて転んでも、それに過剰反応した阿部が、バケツを置いた犯人探しを始めても。 彼女の視線もきっと。ぴくりとも動かないんだろうなと、そう思いながら。だけどオレはそれを直視できるほど人間はできちゃいなかったから、金田一気取って犯人探しに協力してみた。そうでもしなきゃ惨めじゃないか。オレは馬鹿みたいにはしゃぎまわった。田島とふたりで漫才みたいに犯人探して(結局バケツを置いた犯人は沖だった)、なるべく視界にふたりを入れないようにした。 そうでもしなきゃ、惨めじゃないか。 でも失敗した。どうしても気になった。泉と視線がかち合った。自然に上を向く、口角。ああオレは、なんて残酷な人間なんだろう。 「ねーねー、誕生日さあ、何あげたら喜ぶかなあ」 「は、そんなん自分で考えろよ」 「ねーねー泉ぃ」 「なに」 「のこと好き?」 「・・・好きだよ」 何言ってんだよお前、そう言いながら泉はオレをじっと見つめた。というよりむしろ、睨んだ。オレはそんな泉の視線を受け止めることもできずに、いつものようにへらりと笑う。この顔が、泉の苛々を増長させることを知りながら、それでも。 「オレも好きだよ、めちゃくちゃ好き、のこと」 「ばーか。のろけてんなよ、クソレフト」 オレの顔を視界におさめることもなく、彼女と視線をあわせることもなく、泉は乱暴にカバンを掴んで部室を出てった。いつもみたいな軽口を叩いてもくれない。オレに残されたのはクソレフトって呼び名だけ。オレの名前を口にしようともしなかった。怒らないけどね、オレやさしいし、今回くらいは大目に見てあげようと思う。しょうがないよね、泉はきっとかわいい彼女ができたオレに嫉妬してるんだ。オレは笑顔を絶やすことなく泉を見送る。決して馬鹿にしているわけでもなく。 言いたいことがあるなら言ってくれればいいと思う。そっちの方があんな目で見つめられるよりもずっといい。あんな顔して笑われるよりずっといい。謝ることもできない、怒ることもできない、だからってこの表情を維持すんのもけっこう辛い。終わりが見えてるのに笑っていられるほど、オレは器用なやつじゃないんだ。 それでもオレは知っているのだ本当は。オレにとっての辛いこと。ともすれば終わりよりも、もっとずうっと辛いこと。辛くてとってもこわいこと。 だから笑っていようと思うんだオレ。どんなに辛くても、笑っていようと思うんだ。オレが笑えば泉はきっといらいらするだろうし、はできっと眉毛を八の字にして笑うんだろうけど、それでも笑っていようと思う。他人のしあわせを祈るかわりに、自分のしあわせを捨てられるほど、オレは大人なんかじゃないから。臆病者だから、そんなオレはせめて、いつも笑顔で。あのふたりの前だけでもいいから、いつも笑顔で。 僕は今まで生きてきた中で、今が一番しあわせなんです。そりゃあ毎日目覚めはすっきり、世界は輝いて見えるし、例えテストの点が悪くても、フライを落としても、そんなの今の僕にはちっとも関係ありません。だって僕はしあわせなんです。かわいい彼女ができたんです。 かわいい彼女ができたんです。 僕は今まで生きてきた中で、今が一番しあわせなんです。たとえかわいい彼女が僕の前ではぎこちない笑顔しか見せてくれなかったとしても、友だちが笑ってくれなくなっても、あの子が隣にいてくれるならそれでいいんです。たとえかわいい彼女が友だちの幼なじみで、その友だちの前でしか涙を見せなかったとしても、あの子の隣にいるのが僕であるならそれでいいんです。 たとえかわいい彼女が心の底で誰を思っていたとしても、僕の隣にいてくれるならそれでいいんです。それだけで十分なんです。 僕は今まで生きてきた中で、今が一番しあわせなんです。
道化師の
泪
BACK 20070810-13...水谷くん。連載したいけど技量がないので、シリーズってかんじで!(適当) |