ほらほら見てごらんよ、いかにも地味なあの背中を! 声をひそめてそう言った千石に促され、まじまじとその背中を見つめた東方は、なるほど確かに、とうなづいた。あれが本日めでたく15回目の誕生日を迎えるやつの背中だとは到底思えない。なんだか地味'Sと呼ばれてしまう理由にも納得がいくような気さえした。まさか自分があんな背中をしているとは、思いたくないけど。 「・・・で?」 ちゃんと計画は実行できるんだろうなと隣のオレンジ頭にたずねてみれば、そんなの決まってると口の端を上げて、それからなにやら思案しだした。その笑顔がやたら楽しそうに見えたので、思わず口を噤む。彼にとっての楽しいはつまり、東方や南にとってはとても厄介で、そして迷惑。あまり関わり合いたくないのが本音。でも今日だけは話が別だ、ともすれば自分も加害者の一人になってしまう危険だってある。だけど本日7月3日は、我らが部長の誕生日だ。なにがなんでも、とびきりのプレゼントを。そのためには、東方は千石と手を組まざるを得なかった。 とは言え、ふたりはそれなりに協力して、随分と前から綿密に計画をたててきた。それこそ、あの青学のメガネの彼にだって負けずとも劣らない。ふたりは、そう自負している。 「・・・問題は」 「そう、問題はお前があの子をつかまえられるかどうかだ、」 ラッキー千石にまかせなさい、と千石は胸をたたいた。東方もうなづく。なにしろ1度も話したことのない女の子に声をかけるのだ。こいつ以外に適任者はいないだろう。何度も何度もシミュレーションしてきたし、それこそ失敗なんてあり得ない。だけど、それでも不安は残る。お願いだから、お願いだから千石、決してドジだけは踏まないでくれ、と。気付かれないよう、十字を切った。キリスト信者でもないくせに。 南の(地味な)背中を見送りながら、下駄箱の陰で息を潜める。まだ登校時間のピークを迎えていない昇降口には人もまばらだ。額に汗がにじむのを感じながら、ふたりはひたすらその時を待った。 「雅美ちゃん、いま何時」 「8時5分・・・そろそろだな」 予定ではあと3分もすれば、登校時間のピークを迎える少し前になれば、彼女が姿を現すはずだ。そうすればそこから先は千石に任せて、自分はことの顛末を見守っていればいい。自分は、南がそのふたりの姿を見つけることのないよう、注意していればいい。東方は登校してくる生徒が彼女ではないことを確認しながら、今日に限って彼女が気まぐれに休んだりしないようにと祈った。 千石は千石で、シミュレーションを繰り返していた。どれだけのテンションで話しかければ不審がられないか、どのくらいなら近づいても嫌悪感を持たせずに済むか、うんぬん。今までのナンパ経験も捨てたもんじゃない、そう思いながら、できれば彼女が話しやすい子だといいと考えた。 昇降口に生徒が増え始めたころ、千石は東方にもう一度だけ時間をたずねた。東方はポケットから携帯電話を取り出して、確認する。 「・・・8時11分」 顔を見合わせたふたりの胸に、一抹の不安がよぎった。本来なら、この時間までには彼女は登校していていいはずだ。登校時間のピークを迎える前に彼女がここを通るとわかったからこそ、この場所を選んだのだ。ここならクラスメイトでもない女の子に話しかけても、周りの目はさほど気にならない。だって挨拶ついでだ、人が少ない時間帯に、ちょっと会話するだけ。それなのに、彼女は現れない。 このままじゃまずい、東方は辺りを見回した。生徒の数が増えてくれば、そのうち千石に好意を寄せる女子もおのずと増えてくるだろう。そうすると、今度は彼女に声をかけることも難しくなる。たぶん、彼女は注目を集めるタイプの人間ではないし、千石は千石で、近寄ってくる女の子を無視できるはずがない。嫌な汗が東方の背中をつたった。 千石は目を凝らして彼女の姿を探していた。得意の動体視力をこれでもかというくらい駆使して、あちこちに視線を走らせる。少しでも彼女に関する情報はないか、彼女の友人はいないか、どうして彼女は今日に限って時間通りに現れないのか。 もしかして、と思う。千石は東方を振り返り、呟いた。まさか、もしかして。 「・・・ちゃん、南の誕生日を知ってたり、は・・・」 「いや、まさか・・・それは、期待しないほうがいいだろ」 だよね、と肩を落とす。もしかしたら、彼女は南の誕生日を知った上で、だから昨日の夜は南にメールだか電話だかしようとしていて、悩んでいたから眠れなかったとか、だから今日は登校時間が遅れているとか、そんなことを期待していた。そうだよね、期待しないほうがいいよね、南だもんね。千石は東方の言葉を反芻する。 肩を落とした千石を慰めるでもなく、東方は呟いた。余計な期待はしないほうがいい、きっと、南のためにも。自分たちが相当なおせっかいをしようとしていることはわかっている。でも、それは飽くまでもかわいいレベルの話だ。ちょっとだけ、一瞬でも南にちいさなしあわせを。いつも気苦労をかけてばかりの部長に、ちいさなしあわせを。ただそれだけ。 ただ、自分たちは南がすきですきでしょうがない。少しでも南にしあわせになってほしいから、こんな無謀なことまで考えた。後輩だって巻き込んで。 残酷なプレゼントであることも理解している。喜んで欲しい、それだけで、南の気持ちも彼女の気持ちも考えようとはしなかった。自分たちがただ、南がしあわせそうに笑うその顔を見たい、それだけだった。 「・・・きたっ」 いくよ、と千石が動きだしたのは予鈴3分前。東方はさらに小さく縮こまる。計画から多少のズレはあったものの、生徒もまばらだ、問題ない。ただ、いつも早めに登校する彼女が、今日に限ってはどうしてこの時間なのかが、やはり気になった。 千石は何も入っていない鞄をカムフラージュに、下駄箱の前で靴を脱ぐ彼女にゆっくりと近づいた。ここで焦ったらなにもかもオシマイだ。落ち着けオレ! ゆっくり息を吸い込んで、オハヨ、と声をかけてみた。 「・・・あ、うん、おはよう?」 「いや〜今日はトクベツな日だってのにさ、寝坊しちゃったよ!」 「千石くんも? 実は私も寝坊なんだよねー」 人好きのする笑顔だな、と千石は思う。これなら、うん、南の気持ちもわかる気がする。なぜだか妙に安心して、寝坊ナカマ同士なかよくしようと、千石は話をすすめた。教室までいっしょに行こうよ、と。 「・・・よし!」 影から見守る東方は、巧みな話術に感嘆しながらも、ガッツポーズは隠せない。今ちょうど登校してきたとこなんですと言わんばかりに、下駄箱に向かい、後を追う。ちらりと気付かれない程度に東方へ視線を送った千石は、ここぞとばかりにラストスパートをかけた。 いけ、千石、お前にかかってる! こんなに千石と心が通じあったのははじめてかもしれない、ぼんやりと頭の隅で考えながら、東方は千石の成功を心から祈った。 おれたちは、南のよろこぶ顔がみたいのだ。 「・・・あ、それでね、さっきも言ったけど今日はトクベツな日なんだよ!」 「あ、私しってる、南くんの誕生日でしょ?」 「・・・・・・・・・・・・え?」 「・・・あれ?」 ちがった? と首を傾げる彼女に、千石は慌てて手を振って、否定の意を表す。違わない違わない。そうと決まれば話は早いじゃないか。東方の視線を背中に感じた。 「なんだあ、知ってたんだ〜! だったらさ、お祝いしてあげて! うちのブチョーってば地味だから」 よし言った! 千石は心の中で、東方は見えないように、お互いガッツポーズをした。は千石のセリフに地味ってひどい、と笑いながら、それでもうなづく。うん、お祝いしとく。千石はそんな彼女に、そうすればきっと南も喜ぶよ、約束だからね、と念を押した。何があっても、ここまできたら失敗は許されない。千石はてのひらに汗を握って、しつこいくらいに念を押した。東方はその様子を固唾を飲んで見守る。南がこの光景を目にすることのないよう、細心の注意を払いながら。いや、今頃は室町が南を教室に引き止めてくれているはずだ。計画より進行は遅れているけれど、室町はきっと途中で計画を放棄するようなやつでも、ボロを出すようなやつでもないから、心配ない。あとは、彼女次第。 こんなの自分たちのエゴだとわかりきっている。南の気持ちも彼女の気持ちも、自分たちの欲望のためだけに利用しているようなものなのだ。それでも、 ごめんな、南。それでもおれたちは、お前の笑顔を諦められない。 南と彼女のクラスの少し手前で、千石はじゃあ、と言いながら手を振った。南にはオレが言ったこと内緒にしてねと、釘をさすのも忘れない。 千石は彼女の背中を見送りながら、東方の姿を横目で確認して、考えていることはきっと同じなんだろうと、ふと思った。自分も東方も、きっと思ってる。この子が、南のことをすきになればいいのに、と。どうにもならないことも知っているから、せめて願う。どうか、南が笑ってくれますように。明日も笑っていられますように。 「まさみちゃーん! やった!」 ふたりは安堵の表情を浮かべながら互いに笑う。自分たちのエゴを呪って、南の明日を祈りながら。 「緊張したー」 「俺も、見てるだけなのに」 「ねー雅美ちゃん、せっかくだから念おくろうよちゃんに」 「は?」 「南のこと、すきになれって」 それくらいはオレらの自由でしょ、と千石は笑う。それくらいならやってやらないこともない、と東方はそう遠くない彼女の背中に視線を送った。自分たちのエゴを呪って、南の明日を祈りながら、ふたりは念じる。南のこと、すきになれ。 笑顔のかわいい、明るい子だった。きっと、いいこに違いない。だって南が惚れた子だ。だったら、きっと南の良さにも、気付いてくれるに違いないのだ。 南のこと、すきになれ。 「・・・あのね、千石くん!」 彼女は振り返って千石の名前を呼んだ。あれ、もしかして声に出してた、オレら? いやいやまさか。目で会話して、ふたりは彼女が次に口にするであろう言葉を待った。 「ホントは昨日の夜メールしようかと思ったんだけど、悩んだ挙句やめちゃったんだよね。今日は勇気だしてがんばるよ、ありがとう!」 「「・・・え」」 もしかして念が通じたかも、ふたりは顔を見合わせる。しばらくすれば拝めるであろうしまりのない南の顔を想像して、ふたりで笑い転げた。そう遠くない未来に、あのふたりはきっと恋に落ちるのだろう。だからさっきの彼女のセリフは、しばらくふたりの秘密にしておくことにした。 BACK 20070703...南ちゃんハッピーバースデー。 |